2022年郡上おどりはユネスコ無形文化遺産に登録されました。
「郡上の八幡出てゆく時は、雨も降らぬに袖しぼる」 の歌詞で知られる郡上おどりは400年にわたって城下町郡上八幡で歌い踊り続けられてきたもので、江戸時代に城主が士農工商の融和を図るために、藩内の村々で踊られていた盆踊りを城下に集め、「盆の4日間は身分の隔てなく無礼講で踊るがよい。」と奨励したため年ごとに盛んになったものです。
そんな歴史背景から郡上おどりは誰もが、つまり観光客も地元の人もひとつ輪になって踊るという楽しさがあるのです。 ここに郡上おどりは「見るおどり」ではなく「踊るおどり」といわれる理由があ ります。
お囃子と下駄の音、それに川のせせらぎが重なって山あいにこだまする夏の夜の風情。 圧巻は徹夜で踊る盂蘭盆会の夜明け近く、東の空が白々と明けゆく頃。 その時は歌い手と踊り手の息がピッタリと合って夏の夜の短かさを惜しむように踊りがつづきます。
さて、ここからは解かりやすくQ&Aでおどりについての基本的なご案内をいたしましょう。
郡上おどりへお出かけになる前に、また旅行を計画中のみなさんにご一読いただきたいページです。
7月中旬から9月上旬にかけて30夜以上にわたって踊られます。 日本一のロングランの盆おどりで、郡上八幡の夏はおどりとともに始まり、おどりとともに終わるといえます。会場はひと晩に1カ所ずつ。 これは町内あちこちでの縁日祭りにちなんでおこなわれるもので、新旧入り交じった感じがしないでもないですが、そのうちの多くからこの町に残る伝統や風習を垣間見ることができます。
踊り会場はひと夏で市街地を一巡し、城下の町並みの中や辻の広場で踊る日もあ れば、昔ながらに神社の境内が会場になる日もあります。 また山の中腹のホテルの駐車場までご足労ねがう日もあります。
開催時間は平日と日曜日が大体8時から10時半、土曜日は8時から11時までが基本ですが、特別な催しがある場合は変更される場合があります。
なおクライマックスの徹夜おどりは、8月13,14,15,16日の4日間です。
当ホームページのおどり日程表は旅行プランのたてやすいカレンダー表示になっています。またそれぞれのおどり場所の説明や地図も掲載しています。こちらをクリックするかメニューボタンの郡上おどり日程からお入りいただいてご確認ください。
踊りに必要な衣装はありません。誰でも気軽に参加できるのが郡上おどりの魅力のひとつです。でも「Tシャツでいいや」と出かけてしまった人も郡上八幡に着くと「しまったぁ!浴衣(ゆかた)にすればよかった」ときっと後悔しますよ。
それは郡上八幡という町は来てみるとわかるのですが、日本の夏風情がたっぷりの町であり、浴衣(ゆかた)なんかがバッチリ似合う町であるからです。
それに初めての郡上おどりで多少ぎこちない動きも浴衣だとそれなりにサマになるから不思議です。そんな人のためにしゃれたデザインの浴衣をレンタルする呉服店もあ ります。
また下駄はぜひご用意ください。下駄を鳴らす音が、踊りの調子を高めるのが郡上おどりの特徴です。町のゲタ屋さんに飛び込めば足にぴったりの台にお好きな鼻緒を据えて世界でただひとつのあなた用の下駄をその場で作ってくれますし、何よりの旅のおみやげになります。
郡上おどりの種類は全部で10種類。 種類が多いのも郡上おどりの特徴です。これは江戸時代に城下での盆おどりを奨励するため郡上の藩内のあちこちの村に伝わっていた おどりを集めたためといわれます。
最初にはじまるのが「郡上の八幡出てゆく時は、雨も降らぬに袖しぼる…」の歌詞でよく知られている「かわさき」。 旅館の会席料理にたとえるなら情緒豊かな前菜盛り合わせというところでしょうか…。
次に出てくるお刺し身にあたるのが活きのいい「春駒」。日本の民謡には珍しいアップテンポの踊りです。 焼き物の鮎の塩焼で骨抜きにてこずるように「三百」はちょっと間違えやすい踊り。
次の落ち着いた調子の「やっちく」は煮物にあたります。 「げんげんばらばら」と変わった名前で動きの早いこの踊りはいわば揚げ物。おすすめの強肴にあたるのが 特徴ある「さわぎ」か「猫の子」。 たらふく食べて、呑みすぎて最後の水物はサラリと後味のよい「まつさか」といえるかもしれません…。
こういった踊りの配列は先人のアイデアとはいえスポーツ科学の上でも、とても合理的な順序になっていることが学説でも証明されています。 郡上おどりが徹夜ででも延々と踊り続けられる理由はここにあるのです。
ありません。男性も女性も同じおどりです。
郡上おどりにおこしになってみなさんがちょっとびっくりされるのは男性の踊り手がとても多いことです。これはたぶん郡上おどりの振り付けがこぶしを上げたり、地面を蹴ったり、どちらかというと力強い動きがあるので男性にも違和感が生まれないためだと思います。
盆踊りというとついつい女性(特におばちゃん)が主役になってしまいがちですが、そのRevenge(仇討ち)というか、男性復権とでもいいましょうか。「男だって踊りたいんだぞ!」そんな声なき声に応えてくれる盆おどりです。
ハイ。おどり上手の旅の方には郡上おどり保存会から免許状が公布されます。審査の方法はおどり会場で毎晩10時ごろになるとその日の課題曲が屋形に表示され、保存会員による審査が行なわれます。
「これは上手い!」という人にはその場で免許皆伝と記した木の札が審査員の手から渡され、それをおどり会場にある郡上おどり保存会の事務所へ持って行くと「正調郡上おどり世久(よく)修得されたことを証します」と墨字で記された立派な免許状に交換されます。
10数年前まではこの免許状も有料公布されていたいきさつがありますが、現在は公正さと品格の維持から審査による厳正公布のみになりました。ひと晩に公布されるその人数は秘密。どうぞ奮って参加してみてください。
あきらめるのはまだ早い…!小雨程度でしたら踊りはおこなわれます。「雨も降らぬに袖しぼる」ほどの郡上おどりですから、「雨が降ったらズブ濡れる」ぐらいは平気です。
見物の傘の列の中を濡れながら踊るおどり好きの人たちのことをこの町では「踊り助平」と呼んでいます。 ただし、台風や集中豪雨についてはこの限りではありません。その時は文字どおり水に流してあきらめてください。
一般に郡上おどりとされているのが代表曲であるこの「かわさき」です。落ち着いた歌詞や優雅な振り 付けに広く親しまれている踊りです。
江戸時代に馬の一大産地であった郡上にふさわしい踊りです。手綱さばきの勇ましい姿が 威勢のよい踊りの動きに取り入れられ、横笛の音は馬のいななきに、軽快なバチさばきの 三味線の響きは馬のひづめの音にさえ聞こえてきます。
宝暦9年、郡上藩主として転封した青山氏は疲弊しきった藩民に身分の隔てなく300文 ずつ与えました。その感激と驚きに里人が地踊りを披露したのが起源です。稲束を投げる 所作や田げたで湿田を歩く動きなど素朴な農作業がフリや曲の歌詞にも取り入れられて います。
城下町として栄えた郡上八幡には江戸時代末期になるとさまざまな旅芸人が入り込みまし た。その中で両手に八枚の竹片を連ねて鳴らしながら門付けして回った曲に素朴な振り付 けがついたものがこの踊りです。
江戸時代の御殿女中の手まり遊びが踊り姿になったもので着物の袂を手繰る優雅なしぐさ がおどりの特徴です。
かつて養蚕農家では蚕を食い荒らすネズミ退治に猫が大切に飼われていました。子猫の愛 らしい所作をまねして動きに取り入れ奔放におどる愉快なおどりです。
元禄時代に遊里で流行した騒歌(さわぎうた)が踊り化しました、派手な手拍子と歌詞に は男女間の情感を謡った艶ものが多く見られます。
江戸時代末期に流行した相撲甚句が地相撲の盛んであった郡上に伝わり盛んに謡われまし た。土俵入りの動きが曲にうまく納まるというおもしろい特徴ももっています。
天正年間(1580年代)に伊勢古市の川崎音頭が郡上の地にもたらされその起源となり ました。農耕の所作が踊り化されたもので歌詞にも作業歌が残されており、民俗資料とし ての価値が高いことから国の重要無形文化財に指定されています。
単調な節回しでありながらしみじみとした情感をただよわせるおどりです。古くからの伝統でこの松 阪がその夜では最後のおどりと決められています。
さらに郡上おどりについての専門的な説明や詳しい歴史の背景, 歌詞などをお知りになりたい方はこちら「郡上おどり大百科」へお進み下さい。民謡研究者やおどり愛好家のためのPDF。郡上おどりの種類や400にものぼる歌詞集が掲載されています。